信長公記を読むーその3-

首巻3 吉法師殿御元服の事

吉法師は十三歳の年に、林秀貞平手政秀青山与三右衛門・内藤勝介がお供して古渡城で元服し、織田三郎信長と名乗ることとなった。この時の酒宴と祝儀は大そう豪勢だった。
翌年、織田信長の初陣ということで、平手政秀が信長の支度を手配した。紅筋が入った頭巾と馬乗り羽織、馬鎧といういで立ちで出陣した。
駿河から三河の吉良大浜へ出陣し、手勢を自ら指揮して各所に火を放った。
その日は野営して、次の日、那古野に帰陣した。

古渡城は織田信秀によって対今川用に築城された城です。この後、末森城に移ったため、14年間で廃城となりました。信長は古渡城で元服( 男子の成人を示すために行われる儀式のこと。加冠・初冠ともいう )し、武士としての第一歩を踏み出し正式に織田弾正忠家の跡取りとなりました。
1547年、14歳で初陣を迎えます。この時の様子を示す「織田信長初陣之図」というものが江戸時代に描かれています。
形式的な初陣のため、危害が及ぶ恐れの少ない場所を選んで出陣しています。後見人の平手正秀らが軍議を開き、場所を決めました。那古野城を出発し、熱田神宮で必勝祈願。大府(おおふ)を通り刈谷から高浜、今川領・大浜と進軍したものと考えられます。夜襲にて大浜羽城という砦を攻め敵をほんろうしたようです。このころは父・信秀は安城あたりまで支配下に置いていたので、大浜の近くまでは何事もなく来れたようです。
また吉良大浜という場所は、当時織田氏と友好関係にあった水野氏の領地だったので、いざとなれば水野隊が助けてくれることも想定していたはずです。
こうして信長は、真に大人の仲間入りを果たしました。