第5回楽学@楽膳楽酒レポート

突然ですが、信長と光秀が亡くなったとき二人は何歳だったでしょうか?信長と光秀、どちらが年上だったでしょうか?どれくらい年の差があったでしょうか?皆さんはご存知ですか?

明智理事は織田家・明智家の世間が抱いている常識を変えたい、という思いを抱いています。 本日の講座はいろいろ考えさせられる内容でした。 まさに常識が変わりました。逃してしまった読者の方「安心してください。履いてます」。いや違う。安心してください。
今週末の「世界ふしぎ発見」見てください。また8月から新連載の「別冊ヤングチャンピョン」必読です。明智理事の新刊買ってください。ついでに次回以降の講座ものぞいて下さい。

今回のテーマは「光秀の人物評をどうみるか?」です。ルイス・フロイスの書いた人物評などから、光秀の人物像と信長・光秀の関係を見直します。

左の絵は安土城で信長が家康を接待したときに、みんなの前で光秀をののしったとされる江戸時代に書かれた軍紀物になぞらえた絵です。信長、光秀を思いっきり蹴とばしてますね。こんなことされたら恨みも買いますね(このような事実は一級資料には書かれていないようですが)。江戸時代の軍記物に植え付けられた、にせの常識です。
右の絵は光秀唯一の肖像画です。大阪・岸和田市にある本徳寺所蔵の肖像画の写しです。

本日講座をお聞きの皆さまには、カステラをご用意しました。なぜカステラか?
カステラと日本の関係は、織田信長が南蛮渡来の文化や珍しい品物とカステラを含めた食品を大いに歓迎したことが始まりと伝えられているからです(文明堂ホームページより)。

光秀は孫子・兵法などを熟知した武将です。力でねじ伏せるタイプではなく、謀略を得意とする人物だったようです。主君を斉藤道山から朝倉義景、織田信長と変えています。信長からの信頼は厚く、信長を喜ばせることを万事につけて調べているほどだったとフロイス日本史に書いてあります。

熱弁をふるう明智理事を後ろからパチリ。真剣な様子で聞き入る参加者の様子がうかがえます。
ところで冒頭の質問についてですが、「当代記」に書かれている記述によると光秀は永正13年(1516)生まれです。つまり亡くなったのは67歳です。
本阿弥行状記には
・・・此人とても老年といひ、善悪のわかちなき人にもあらねど・・・
とあります。つまり当時としてはかなり高齢の人物だったということです。
信長は1534年生まれとされていますから、年の差18歳となります。
どうですか?本能寺の変の見方が変わりませんか?イメージでは同年代か年下(私見ですが)だと思っていました。十分に分別のあるおじいちゃんがなぜクーデターを起こしたのか?天下を取りたかったというには年を取りすぎていると思いませんか?みんなのまえで恥をかかされたから?そんな単純な理由だけで家がつぶされるかもしれない決断をしますか?実に興味深いお話でした。

講座が終わると懇親会が始まります。本日はお越しいただいた黒田家、南部家、武田家支流の油川家の方がた、そして女流講談師神田蘭さんに無茶ぶりをしてご挨拶願いスタートしました。黒田様におかれましては、乾杯の音頭もとっていただきました。この場を借りて感謝申し上げます。
講座を聞きに来ていただいたほとんどの方が懇親会に参加いただき、歴史好きな異種交流会のようでした。

懇親会の最後に集合写真を撮りました。らんらん、ランラン、神田蘭♪これ合言葉です。
予定時間を30分過ぎても参加者の熱気は冷めず(会場をお借りしている渡邉さん、すいません)大変な盛り上がりを見せた一日でした。ご満足いただけていたら幸いです。

次回講座は8月6日(土)17時を予定しています。講座のテーマは「信長は平清盛に学んだか?」となっています。
申込み方法はFAXまたはメール、フェイスブックで受け付けています。
みなさまのご参加を心よりお待ちしております。どうぞよろしくお願いします。