第8回楽学@楽膳楽酒レポート

「桶狭間の戦い」・・・永禄3年(1560)5月19日に尾張国桶狭間で、織田軍と今川軍の間で行われた合戦。今川氏が没落する一方で、勝利した織田氏は美濃・伊勢侵攻から畿内の制圧へと急成長し、戦国時代の重要な転機となる。

battle of Okehazama

10月1日に行われた楽学@楽膳楽酒は、第8回織田信長講座「信長はなぜ桶狭間で勝てたのか」でした。講座の狙いは、桶狭間の合戦での信長必勝の作戦を見直すという内容です。

一般的に認識されていることは、信長が勝ったのは奇襲によるもので天候等が味方した偶然に過ぎない、ということ。最近の調査で正面突破である可能性が高いとの見解が出てきましたが、そもそも奇襲とうたったのは江戸時代に書かれた軍記物「甫庵信長記」が広めたものです。その後帝国陸軍参謀本部が明治32年に作成した「日本戦史・桶狭間役」に迂回説を採用したことから定説とされるようになりました。

そして10分の1の勢力だった信長の勝因と、義元の敗因は幸運によるもので合戦の結果は偶然の産物に過ぎないとの説がまかり通っています。そんな運に左右されるような戦いをしたでしょうか?-というのが明智理事の疑問の出発点です。なぜなら3つの視点が抜け落ちているからです。

1 極度に戦を好み、軍事的訓練にいそしみ、戦術に極めて老練で、戦運が己に背いても心気広潤、忍耐強かった。困難な企てに着手するに当たってははなはだ大胆不敵 「フロイス日本史」
2 平田三位不断召し寄せられ、兵法御稽古 「信長公記」
3 孫呉兵術に慣るる 「信秀法語」

幼いころから英才教育を受けていた信長が兵法の教えを無視して無謀な賭けに出るはずがありません。義元もしかりです。太源や崇孚、雪斎に幼いころから教育を受けていたのです。基本戦術がわかっている者同士の戦いは、偶然の産物ではないのです。

ちょっとブレイク・・・今回のお茶菓子は岐阜・長良園の「信長の翠」です。お茶の風味を生かした洋菓子で外はカリッと、中はしっとりしています。

以下決戦に至るまでの信長の心のやり取りを、明智理事は信長と孫武、呉起が会話している体ですすめています。

信長と孫武、呉起の会話(架空)

そして、義元が桶狭間に駐留した原因を2つの理由で述べています。

1 兵の休息地として夏の日差しを避けるため桶狭間が適地と考えたこと
2 高根山周辺の高地から戦況を一望のもとに見て、次の作戦を考えようとしたこと

孫子の兵法にも「起伏にとんだ地形では、先に視界良好で戦場を支配する高地を占領して、敵を待て」と書かれています。さらに義元の敗因として2つの理由をあげ結んでいます。

1 桶狭間に向かって進軍してくる信長軍の動きを把握できていなかった
2 隘路口の封鎖が弱かった

講座の後は懇談会です。今回は各自自己紹介をしていただき大いに盛り上がりました。

次回講座は11月5日(土)を予定しています。講座のテーマは「信長はなぜ天下統一を目指したか?」です。アメブロとフェイスブックで近日募集を行ないます。ぜひ一度お越しください。