第9回楽学@楽膳楽酒レポート

人間五十年、下天けてんの内をくらぶれば、夢まぼろしの如くなり、ひとたび生を得て、滅せぬ者のあるべきか
死のふは 一定いちじよう、しのび草には何をしよぞ、一定かたりをこすよの
信長公が好んだとされる唄のフレーズです。前者は・・・有名ですね。敦盛という舞の一部で、京都・建勲神社にも碑があります。後者は小唄です。2つの唄に信長公のすべてが凝縮しているのではないか、と今回の講座を聞いて思いました。

建勲神社・敷地内にある敦盛の碑

11月5日(土)に浅草橋・楽膳楽酒において明智理事の講座を行ないました。9回目となるテーマは「織田信長はなぜ天下統一を目指したか?」です。信長の置かれた状況を分析し、天下統一への道のりを見直すことがテーマです。またサブタイトルで「年表を辿って見えてくるものは何?」となっています。

まずは近年の歴史学者の見解の変化について述べています。また信長公の言葉に、素直に耳を傾けようということで信長公記の記述について説明します。

講座資料内容の一部

そして信長公の足跡についてフェーズを4つにわけ、それぞれ①尾張統一戦期②上洛戦期③中日本統一戦期④天下統一戦期と分けて説明。基本にあるのは「倒さなければ倒される」の原則です。

例えばフェーズ1の尾張統一戦期では実力者であった父・信秀亡き後、兄弟や他の織田家と戦うことになります。ようやく統一の兆しが見えだすと、残る敵は駿河と遠江、三河の今川氏と松平氏。美濃の斉藤氏とフィールドが上がることになります。フェーズ4では信長包囲網との戦いとなり、敵は甲斐・信濃の武田氏、越中・越後の上杉氏、中国の毛利氏、加賀、丹波、本願寺(大坂)とフィールドが広がります。1582年(信長が死去する年)の最大勢力を誇っていた時には、残る敵は上杉氏と毛利氏、長曾我部氏になりました。天下統一までもう一歩のところまで来たのです。フィールドの広がりによって必然的に敵の種類が変わったと解釈できます。

講座の様子1

ちょっとブレイク・・・本日ご提供させていただいたお菓子は、亀屋陸奥さんの松風。11年間続いた織田信長と石山本願寺の合戦時に兵糧の代わりとなる。
信長と和睦の後に顕如上人が「忘れては 波のおとかとおもうなり まくらに近き 庭の松風」 と詠まれた歌から銘を賜る。
これが「松風」のはじまりとなったそうです。

これら事象をまとめると以下のようになります。
1 人生50年で偲び草を残したいという強い思いがあった
2 生まれてから常に敵対者が存在し、勝たねば滅びる人生だった
3 意思・計画をもって次のステップへ、実現すると新たな敵対者とステップが出現した

兵法の戦国策「愚者は成事に聞く、智者は未萌に見る」の実践であると結論付けられます。

ではこの後信長公が生きていたら何をするつもりだったのでしょうか?このことについては次回講座にて説明していただきます。

講座風景2

講座が終わると懇談会です。いつものようにワイワイと歴史話に花が咲いていました。

次回は12月3日(土)を予定しています。テーマはずばり「信長は天下統一後に何をするつもりだったのか?」です。なお懇談会は忘年会とします。価格がいつもと異なりますのでご注意ください。講座の価格は変わりません。詳しくは近日公開のアメブロとフェイスブックの募集をご覧ください。