クリスマスと戦国時代について

今日は12月25日なのでクリスマスに関するお話をしたいと思います。日本にクリスマスが伝わったのはいつでしょうか。

宣教師のフランシスコ・ザビエルが日本に初上陸したのは天文18年(1549)。布教とともにクリスマス文化が伝わったのもこの年だと思います。

記録で残されているのは「続異国叢書 耶蘇会士日本通信(豊後篇)」に書かれています。これによると天文21年(1552)12月9日に周防国山口(現在の山口県山口市)において、イエズス会の宣教師であるコスメ・デ・トーレスらが、日本人信徒を招いて降誕祭のミサを行なったのが日本で初めてのクリスマスといわれています。

山口市では、毎年12月になると「日本のクリスマスは山口から実行委員会」が主催するイベント、クリスマス市 山口が行われます。

サビエル(山口ではザビエルではなくサビエルというそうです)の偉功を記念し、サビエル来山400年を記念して建てられたカトリック教会の山口サビエル記念聖堂があります。平成3年に一度焼失しましたが、同10年に新しい記念聖堂が再建されています。

またフロイス日本史には意訳すると以下の記述があります。

永禄9年(1566)フロイス日本史の記述

降誕祭の日、堺の市には互いに敵対する二つの軍勢がおり、中には大勢のキリシタンの武士がいた。キリシタンたちは自分達がどれほど仲が良く、互いに敬愛しているかを異教徒たちに示そうと考えた。
司祭館は非常に小さかったので町内の人々に、会合所に使っていた大広間を賃借したいと申し出て受理された。その部屋は降誕祭にふさわしく飾られ、聖夜に一同が集まった。
ここで彼らは懺悔し賛美歌を歌い、説教を聞いた。礼拝の準備ができたものから聖体を拝領した。正午には礼装してそれぞれの家から戻ってきた。
なかには70名の武士がおり、互いに敵対する軍勢であるにもかかわらず、同一の国守の家臣であるかのように、互いに大いなる愛情と礼節をもって接した。
彼らは自分の家から多くの料理を持参し互いに招き合った。すべては整然としており、清潔であって、驚嘆に値した。その際給仕したのは集まった武士の息子達で、デウスについて語り合ったり、歌を歌って午後のひとときを過ごした。
祭壇や装飾など中で行なわれていることを一目みようとやって来た市の群衆は、大勢いた。彼らはその中に侵入するため扉を壊さんばかりだった。

Historia de Iapamフロイス日本史(大村市立資料館

この記述から戦っていたのは誰か、ということを調べた人がいるようで織田信長と松永久秀ではないかという説があります。しかもクリスマスの日に休戦をしたと・・・

事実はわかりませんが、久秀はこの時点では三好三人衆と戦っていたこと(堺で戦っていたようです)、キリシタン宣教師を追放(永禄8年・1565)していること、日蓮宗本圀寺の塔頭・戒善院の檀家だったこと、信長公はルイス・フロイスとの親交を深め、キリスト教の布教を許可したのが永禄12年(1569)であること、という事実から推察すると少なくとも両人の戦いではなさそうです。

ましてやキリスト教と無関係の両者が、キリスト教の祝いの日だからといって休戦までしてクリスマスを祝うことはしないのではないかと思います。

でも久秀は関与していた可能性はありそうですね。当時は配下の武将だった結城忠正高山友照などは永禄6年(1563)ごろには既にキリシタンに改宗していました。今後の調査が進んで事実が解明されるといいですね。

太平記英勇伝:十四 松永久秀(東京都立中央図書館)