第3回楽学楽座ー桶狭間、信長必勝の謎ーレポート

永禄3年(1560)5月19日尾張国桶狭間、同8月中旬近江野良田において戦国を象徴する大きな変革がもたらされます。東海道に君臨していた今川氏が尾張の新鋭・織田信長に敗れ、近江では浅井長政を中心とするクーデターが起きました。
西三河から尾張に至る地域から今川氏の勢力が一掃され、松平元康は今川氏から自立をもくろみます。翌永禄4年に織田・松平の同盟が成立し(清須同盟)、信長公が亡くなるまでこの関係は持続することとなります。信長公は松平氏との講和によって東から攻められる危険を回避できるようになり、急速に勢力を拡大させていきます。

桶狭間合戦期の戦国大名勢力図詳細

なぜ信長は今川の大軍に勝てたのでしょうか?
信長公記の記述によれば織田軍は正面突破をしています。しかし桶狭間の戦いの定説は迂回奇襲作戦となっています。これはなぜか?
信長の勝利は結果論で幸運が重なったとされています。一族の生存責任を負った戦国武将が幸運にかけて戦うでしょうか?
これらの疑問に答えるような形で講義が進みます。信長とは何かを論じる前に信長に学べ!ということで、戦国武将の常識を知ることから始まります。
詳細は省きますが、決断の順番として①援軍の来ない籠城戦は勝てないと判断し決戦を選択②桶狭間の狭い谷で戦うことを選択③軍勢を分断するため鷲津砦・丸根砦を餌に今川の先陣を誘い出し両砦の見殺しを選択④味方にも最終作戦は告げず軍議の中止を選択します。

そして①義元の準備が整う前に不意打ちし②馬廻衆と小姓衆で速攻をかけ③狭い谷へ釘付けにし見事勝利をおさめます。孫呉兵術に長け地形熟知した信長の作戦通りの勝利でした。
信長の常識を学んで得た教訓として、戦国武将の知識・論理を学び武将の器に少しでも近づこうと自分の器を広げることが「歴史に学ぶ」ことなのです。

講座の後は懇談会です。明智さんが誕生日だったこともありケーキを用意しました。どうですか、このはしゃぎよう?童心を忘れない明智さんは素敵です。
次回講座は6月10日(土)、いよいよ明智さんの新作の一端をお披露目する機会が参りました。タイトルはずばり、明智光秀の謎に迫るー明智光秀出自の謎ーです。表紙だけ特別にお見せします。受付けの締め切りは6月8日(木)となります。お席のご用意はまだありますので、ぜひお越しください。