第4回楽学楽座 明智光秀の謎に迫るー明智光秀出自の謎ーレポート

明智光秀・・・wikiより
清和源氏の土岐氏支流である明智氏に生まれ、父は江戸時代の諸系図などでは明智光綱、明智光国、明智光隆、明智頼明などに分かれるが、父親の名前も伝わらない低い身分の土岐支流とも言われている。
通称は十兵衛。雅号は咲庵(しょうあん)。官途は日向守。朝廷より惟任(これとう)の姓を賜ったので惟任光秀ともいう。妻は妻木煕子。その間には、細川忠興室・珠(洗礼名:ガラシャ)、嫡男・光慶(十五郎)、津田信澄室がいる。


今回から2回にわたり明智光秀の謎に迫ります。第1弾は明智光秀出自の謎です。謎の解明は以下の通り。
よく考えてみると明智光秀のことは信長公に仕えてから死去するまでしか知りません。テレビのイメージで何となく信長公より年下か同じくらい(過去のレポートをご覧ください)。苦労人ポイが詳細は分からない。
謎の解明の前に今何となく固まっている定説について述べ、なぜそうなったかを解説し否定します。
1 明智軍記の否定
→明智軍記の便宜利用→資料的価値に乏しいが類書も少ない→理系の論文にSF小説を使用するか
2 歴史学者の否定
軍記物否定をしながら軍記物の記述を肯定→誤った定説を確立し何年たっても評価が変わらない→歴史学者自身が歴史学を科学とは認めていないのでは?

謎1 明智光秀の年齢

謎2 明智光秀の出自

謎3 明智光秀の前半生

ネタバレ防止のため詳細は省きます。明智理事が調査して分かったここまでの結論
光兼の子
永正13年(1516)美濃で生まれる
美濃守護土岐頼純に仕える
道三討ちの義龍軍に参陣
永禄8年(1565)足利義昭軍として浅井長政軍と戦う
越前一乗谷東大味に住む
永禄13年(1570)義昭・藤孝に供奉して上洛

次回講座は7月8日、愛宕百韻の謎です。時は今~で始まる光秀が詠んだ句が、光秀謀反の決意を表していると伝えられています。果たして本当なのでしょうか?明智理事が連歌の解説とともに句の謎について解説します。
本日17時まで講座の受付を行なっていますのでご興味のある方はフェイスブックまたはメール(jimukyoku@oda-sha.jp)にてお知らせください。お待ちしています。