【12月16日レポート】古地図片手に江戸Petit散歩ー寛永寺の栄華と大名家を探るー

12月16日(日)は、当会の書院番こと岡田英之氏とともに東京は下町・上野を散歩。小雨がちらつく中での出発でしたが、無事に終えることができました。東の比叡山といわれる寛永寺の敷地を中心に、約3時間古地図片手に散策です。上野の歴史とコースを振り返ります。

江戸時代の上野と寛永寺
上野公園一帯は、江戸時代には天台宗の寺である、東叡山寛永寺が置かれていた境内地に当たります。南海坊天海という幕府でも権威のある高僧が、江戸城の鬼門にもあたる上野の台地に、新たに徳川家の菩提寺を建設したのです。本来は、徳川家の菩提寺は、芝にある浄土宗の増上寺一つでしたが、これで菩提寺が二つになるという不思議なことになります。
寛永寺は、境内を「京の都」になぞらえることで、人々が集まる寺を期待して整備されます。
不忍池は琵琶湖を、弁天島は竹生島、上野の山は比叡山、清水観音堂は清水寺、と言うように、江戸にいながら京を体感できる場所として作り上げたのです。また、境内各所に桜を植え名所にします。今でも上野公園は桜のメッカです。おそらく、増上寺に遅れて菩提寺となった寛永寺を、早く広く支持をされる寺にしたかったのかもしれません。思惑通り、寛永寺境内は、たくさんの浮世絵に描かれる、話題の場所となったのです。

幕末から明治期の寛永寺
幕末に至って、慶応4(1868)から始まった戊辰戦争では、寛永寺に謹慎となった十五代将軍の徳川慶喜を警護する名目で、2,000人以上の武士たちの勢力が「彰義隊」を名乗り、慶喜が場所を移っても、立てこもり続けます。明治政府は、武士の時代が終わったことの象徴として、徹底的に彰義隊をせん滅にかかります。彰義隊の担ぎあげた大将は、寛永寺のトップであった皇族の一人、輪王寺公現入道親王(後の北白川宮能久親王)です。
寛永寺は焼け野原となり境内地を大きく削られます。オランダ人医師・ボードウィンの提案で、上野公園が置かれることになります。上野公園では内国博覧会が開かれ、特に、日本初の飛行機やロープウェイ、エスカレーター、ウォータースライダーなどの最新技術が一般に披露されます。江戸時代が終わっても、人を集める土地であり続けたのです。

出発→上野広小路→不忍池→弁天島
先ずは、古地図を見ながら今回のルートの確認です。上野広小路は、江戸末期の古地図にも出てくる歴史ある場所です。広小路が作られた歴史背景を話しながら、不忍池の方へ向かいます。不忍池では、元々流れていた川をせき止めて池とした歴史、人工島に弁才天と大黒天などが祀られる弁天島などをめぐります。
明治時代には、池の周囲を整形して、競馬場が作られています。明治天皇がご覧になる程の、本格的なものであったようです。本来の不忍池は、今の1.7倍あったと言われています。
弁天島を訪れ、色々な供養塔などを見た後、上野の丘、別名忍ヶ岡へ。寛永寺の建築物に使われていた礎石などが散在するところをご案内し、丘の上の名残を探していきます。

清水観音堂→西郷隆盛像→彰義隊の墓
上野戦争で燃え残り、その後の関東大震災、東京大空襲を乗り越えた清水観音堂には、江戸時代当時に話題になった月の松が再現されています。また、上野戦争を描いた絵馬が、当時の物とされる砲弾と飾られています。

そして、清水堂から西郷隆盛像、彰義隊の墓へ。逆賊となってしまった西郷隆盛がこの場所に銅像を建設されるまでに至る歴史を紐解き、なぜ着流し姿なのか、それに対する糸子夫人や東郷平八郎の感想などを解説します。また、彰義隊の墓では、お参りと共に見せしめとなってしまった彰義隊の悲劇をお話し、「彰義隊」の名称を刻むことをはばかった墓の特徴を案内します。

天海上人毛髪塔→お化け灯籠→五條天神社→花園稲荷神社→上野大仏→擂鉢山古墳→東照宮
当日は、訪れる予定であった博物館動物園駅跡に入ることができるかもしれない、ということで、天海上人毛髪塔、佐久間勝之奉納のお化け灯籠、五條天神社、花園稲荷神社、上野大仏、擂鉢山古墳などを見ながら急ぎめで上野東照宮へ。上野大仏では、数奇な運命をたどりながらも、浮世絵に残された往時の姿と、奇跡的に美しく残されたお顔に、隣接して建てられた薬師如来のパゴダと共に拝観します。

上野東照宮も、上野戦争、関東大震災、東京大空襲を乗り越えた貴重な建造物で、入り口には、老中や大老を輩出した家、酒井忠世の立派な鳥居があり、そうそうたる大名の奉納した灯篭が並び立ちます。それらを見ながら、当時の石畳と門をくぐり、豪華に修復された本殿へ。感嘆の声が上がります。この場所から、上野動物園の中に入ってしまった寛永寺の五重塔も拝観します。

東京公立博物館→博物館動物園駅→黒田美術館→国立国会図書館国際子ども図書館
小松宮彰仁親王像を眺め小休止。寛永寺の大通りがあった噴水の辺りを通過して、本坊のあった場所である、東京国立博物館へ。中には入りませんが、向かって左方面の、因州池田家屋敷の門を見て、京成線の博物館動物園駅跡へ。通常は入れない駅舎が公開中で、中に入れないかと期待していましたが、何と整理券制で、午前中に配布も終了とのこと、残念です。黒田記念館、国立国会図書館国際子ども図書館の見事な建築を見ながら、寛永寺の現在へ。

根本中堂→徳川家霊廟跡→寒松院など→上野駅
寛永寺の現在の本堂である、天海ゆかりの川越の喜多院から移築された根本中堂を拝観したのち、徳川慶喜の謹慎の間の建物を経由して、裏側の徳川家霊廟跡へ。石垣に護られている墓所と、四代将軍の家綱、五代将軍の綱吉の霊廟の門が残されているところをご案内します。寛永寺には6人、増上寺には6人、残りの3人は、初代将軍の家康が日光東照宮に、三代将軍の家光が日光山輪王寺に、十五代将軍が谷中霊園に埋葬されている背景などをご紹介し、また、八代将軍の吉宗以降、財政難から新たな霊廟建築がなされなかったなどの話をさせていただき、現在も残る寛永寺の子院が集まっているエリアへ。

藤堂高虎が創建した寒松院などを拝見し、上野戦争の砲弾、銃弾の跡が生々しい、当時の寛永寺本坊の表門が移築されている輪王殿を経由して、国立科学博物館の裏手からラムダロケットランチャーを眺めて、JR上野駅の公園口でゴールです。今回は上野公園を歩き通しましたが、現在でも、博物館や美術館、動物園と人を集める場所であることを確認しました。

その後は懇親会を行い、お互い冷えた体を温めながら交流を深めることができました。初回に色々と至らぬところがありましたが、盛況に終えることができましたこと、改めてお礼申し上げます。次回は1月6日(日)元祖山手七福神巡り(白金高輪~不動前)です。ご期待にそえるよう精進すると共に、ご意見など頂戴しより実りのある散歩にしていきます。