【1月6日レポート】古地図片手に江戸Petit散歩-元祖山手七福神巡り-

当社・書院番こと岡田英之氏による江戸プチ散歩。2回目は目黒に場所を移し、七福神巡りを行ないました。岡田氏にレポートしていただきます。

1月6日、書院番・岡田英之が担当する二回目の歴史散策は、白金高輪より不動前まで、「元祖山手七福神巡り」をご案内、覚林寺と瑞泉寺、妙圓寺、大圓寺、蟠竜寺、目黒不動で知られる瀧泉寺の6つの寺院を巡りました。

江戸では「谷中七福神」と共に、最古と言われる七福神巡りですが、江戸の人々にとって日帰りで行ける人気のあった参拝先である目黒不動 瀧泉寺と大鳥神社、現在は無くなってしまった金比羅神社の三ヶ所へ向かう途上であったことが理由としてあげられます。

コースは一直線で、待たずに回れば二時間程度ですので、回りやすい七福神巡りで人気があります。神仏集合の日本的な七福神信仰の中で、すべてが寺院なのもユニークですね。覚林寺から回れば「健康長寿」、瀧泉寺から回れば「商売繁盛」のご利益があるとされまして、今回は、「覚林寺」から出発しました。

最初は、緊張ぎみでガイドの私がおたおたしてしまいましたが、白金高輪駅を出るとすぐ、芝村藩織田家の上屋敷です。織田有楽斎長益の四男からなる大名家です。

まずは「毘沙門天」が祀られる覚林寺へ向かいました。加藤清正が祀られるお寺として有名ですね。江戸時代から場所が変わっていない寺院の一つで、角地にあるのが江戸切絵図でも確認できました。清正公堂の「破魔軍」の力強い扁額は、有栖川宮熾仁親王の書によるものです。

次は日吉坂を上り、七福神で唯一の実在の禅僧、「布袋尊」が祀られる瑞泉寺へ。こちらは、江戸時代、初めて江戸に建立された禅宗の一派、「黄檗宗」の寺院です。何となく、中国大陸の影響が強い感じのお堂でした。

三ヶ所目は妙圓寺です。こちらは道教の神である、「寿老人」と「福禄寿」をお祀りしているのですが、二人は南極星の神。かたや、本尊は北極星や北斗七星の妙見菩薩という仏で、北端と南端が同居しています。

七福神では、時には、寿老人と福禄寿は同一とされて、その代わりに「達磨」や「おかめ」などが加えられることもありました。

おおよそこの寺が、瀧泉寺と覚林寺の中間地点で混雑するのですが、この日はさほどでもありませんでした。国立科学博物館付属自然教育園を見ながら進みましたが、こちらは高松藩松平家の下屋敷でした。

目黒駅に近づくと、太田道灌が妻の懐妊にあたって安産祈願をした「誕生八幡神社」が、300年を超えると言う銀杏の大木と併せて鎮座しています。

浮世絵で江戸時代の景色を見た後、ご参加の皆様が驚かれた急勾配の「行人坂」を下りました。行人坂の左右には、宇土藩細川家の下屋敷、「千代ヶ池」のあった島原藩松平家の下屋敷が、勾配に沿って建てられていました。

四番目は、「大黒天」を祀る大圓寺です。本尊の、国宝「生身釈迦如来」が開帳されていて、拝観できました。「明和の大火」の出火元となってしまった寺ですが、失火ではなく、放火でした。その為、犠牲者鎮魂の為の「五百羅漢」石造群が圧巻です。天和の大火で知られる「八百屋お七」の恋人ともゆかりの深い寺です。

五番目は、「弁財天」を祀る蟠龍寺です。元々は行人坂にありました。入り口には、「岩屋弁天」の碑があり、これが安永4(1775)年の山手七福神巡りの標識とされていて、江戸最古と言われる理由の一つになっています。岩屋と言われる通り、穿った岩窟の中と、そして、その小山の上にも弁財天が祀られています。

最後に参拝するのは目黒不動の瀧泉寺ですが、少し道を外れて裏手から回り込みました。蘭学者・儒学者で、飢饉の対策に「さつまいも」の普及に努めた、甘藷先生こと、青木昆陽の墓に立ち寄る為です。お参りをして、瀧泉寺の裏手から本堂へ。真裏には、大日如来の大きな仏像と、地主神が祀られています。

瀧泉寺は、七福神唯一の日本古来の神、「恵比寿神」を祀る寺で、近年神仏集合の時代にならって鳥居を建てています。山の神を表す「山王鳥居」ですが、狛犬や獅子の代わりにいるのは「犬」。「山犬」や「狼」は山の神の使いとされ、その歴史が現れています。

寒い日でしたが、無事に、時間内にすべての七福神を巡りきり、不動前駅近くで懇親会へ。青木昆陽の導きか、芋焼酎で大いに盛り上がり、理事長の焼酎の知識が大好評でした。