【3月10日レポート】伊豆守が行く戦国時代の転換点・桶狭間古戦場ツアー

3月10日(日)に、名古屋市主催バスツアー「信長攻路明智憲三郎先生と行く!!人生大逆転桶狭間の戦い史跡めぐりバスツアー」が開催されました。ツアーに同行した、当社団会員の伊豆守さんが現地の様子とツアーの概要をレポートします。

はじめまして、伊豆守ことWです。明智さんに同行し、桶狭間合戦場の現地視察と講義を聞いてきました。今回初めてのレポートですがお付き合いのほど、よろしくお願いします。

訪問先は名古屋市緑区です。前乗りして名古屋城を訪ねたことは内緒です。当日は、明智さんの雨男ジンクスの例に洩れず・・・雨でした(笑)。悪天候ではありましたが、明智さんの解説が聞けるためかツアーは満員御礼です。見学コースは、JR名古屋駅を出発し善光寺砦跡→丸根砦跡→有松宿→長福寺→桶狭間古戦場公園→大高城跡→氷上姉子神社を巡る約8時間のコースです。

はじめは、織田信長が今川義元の鳴海城を牽制すべく造った善照寺砦を見学。現在は公園になっています。園内で講義が行われ、桶狭間合戦は孫子・兵法に基づき行われたものであり、決して運頼みではないとの明智節がさく裂です。

善照寺砦跡見学後、バスで移動する最中に、車窓から当時今川方の武将だった松平元康(後の徳川家康)の攻撃により、陥落した丸根砦を見学。移動中に、当時と道幅が変わらず狭い、大高城に兵糧を運び込んだ道路も確認します。

東海道の宿場町・有松宿で昼食をとります。有松は1608年尾張藩の出したお触書により、東海道の池鯉鮒宿と鳴海宿の間に出来た町です。今川義元の進軍経路上にある場所ですね。

休憩後、長福寺に移動します。長福寺は浄土宗西山派の寺院で、尾張に向かう今川勢を饗応し、労をねぎらったという逸話があります。また寺宝として今川義元の木像と桶狭間合戦記・鎧・槍などを所蔵しています。ご住職の講話を聴講し、展示物を見学します。

ここで、現地ボランティアガイドの皆さんと合流し、徒歩で桶狭間古戦場公園に移動します。古戦場跡は鬱蒼とした木々に囲まれている狭隘というイメージだったのですが、実際はすぐ側に住宅地が広がり近所の人が犬の散歩に来るごく普通の公園です。信長と義元の銅像や、「義元公戦死の地の碑」がなければ見過ごしてしまうかもしれません。ボランティアガイドの皆さんから桶狭間合戦に関する説明を受けた後、大高城方面に向かいます。

大高城跡で行なう予定だった明智さんの講義が、雨のため近くの集会所に場所変更となります。集会所の準備が整うまでの間、明智さんの書籍を持参した参加者の方がたが集まり、ちょっとしたサイン会となります。改めて明智説が浸透していること実感し、自分ごとのように嬉しくなります。
会場に入り講義が開始され、桶狭間合戦の現代語訳の資料を元に、孫呉の兵法を使った信長の戦術と戦闘経緯について学びます。

講座終了後に大高城跡に移動し、地元の愛知戦国甲冑隊の皆さんによる大高城兵糧入れの再現を見学し、皆さんと鬨の声を上げます。大高城から鷲津・丸根両砦の距離の近さも驚きです!!当時大筒があれば全然射程距離内ですよ。書物だけを読むのではなく、現地に行って直に大きさや距離感を視覚的に学ぶ事はとても重要なことだと思います。その後近くの神の井酒造に向かい、試飲体験をします。頭と体を使った後のガソリンは効きますね。

最後地は氷上姉子神社です。宮簀媛命(みやすひめのみこと)を祀った神社で、熱田神宮の創祀以前に草薙剣を預けた神社と言われています。また、「氷上」の字が付くので、愛知で盛んなスケート競技の選手達にはスケートの神様として信仰を受けてるそうです。浅田真央さんも来たのでしょうか?

参拝後、バスにて名古屋駅に戻り解散となります。

戦国の世の転換点となった桶狭間の現地を見ながら、明智さんの解説を聞けたことは、大変貴重な経験です。信長は情報をとても重視しています。桶狭間合戦後の論功行賞で、今川義元の居場所を通報した梁田政綱を第一、一番槍の服部小平太を第二、首級をとった毛利新介を第三の手柄としたのを見ても明らかです。
今川軍の行動を随時監視し、情報の漏洩を防ぐために家臣達にも本心を伝えず情報保持に努め攻撃の機会を伺ったのです。これでは初戦の勝ちに驕り、油断を重ね桶狭間の様な敵地で、しかも大軍を動かすことが困難な狭隘地で昼食休憩する今川軍が勝てるはずもありません。信長は勝つべくして勝ち、戦国の世に名乗りを上げたのです。温故知新の気持ちを持ち、日々精進しようと改めて思う機会をいただきました。